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繇條書屋(ようじょうしょおく)

 

 

意味はわかりません

牧野記念庭園に行ってきました

繇條書屋(ようじょうしょおく)
晩年の牧野富太郎が過ごした部屋の再現

東京都練馬区大泉学園にある晩年の牧野富太郎の住居跡に作られた記念庭園です

晩年の家は、妻寿衛子が建てたのだそうです

遠くからでもクロマツの大木が見えます

朝ドラ「らんまん」を観ていて妻2人がすごいと感心しています(ドラマでは違う設定ですが)

 

実際牧野富太郎には、寿衛子に出会う前に祖母が決めた猶(なお)という女性とすでに結婚していました

造り酒屋は猶に任せ東京に出てきた富太郎は、ずっと猶の仕送りで生活していたそうです

 

造り酒屋は富太郎の浪費により潰れてしまいましたw(本当に)

猶は富太郎と別れて番頭と再婚したそうですが、まだ仕送りを続けたそうです(信じられない)

夫の浪費で借金だらけの生活になった牧野家

寿衛子は、手持ちの金で店をかまえて舞妓や芸妓を呼び、仕出し屋から料理をとって宴席を設ける「待ち合い」という商売を始めそれが評判になり、かなり金を稼いだそうです

その金で大泉学園に家を建てたのです

大泉学園なら庭に植物園を作ることができると喜んだそうです

どこまで尽くす女なんでしょう

稼ぐだけでなく、寿衛子は13人の子を設け、7人の子を病気で亡くしているのです 子育てをしながら夫の世話もし、金を稼ぐ寿衛子 

すごい女性です

そして生活が落ち着いたある日、無理がたたって病気になり、家を建ててたった2年後に亡くなったのでした 

享年55歳でした

牧野富太郎は恐ろしいほどに女性運に恵まれていますよね

覚悟して行ったのに、意外とガラガラだったよ〜ん