ひとりのじかん

ひとりのじかんを楽しく大切にして

実家の片付け

今日は朝から実家の片付けに来ました。

昭和ヒトケタ生まれだった父は、ご多分に漏れず、モノのない時代に育った、モノを溜め込む人間でした。 

 

とにかく、「何コレ。なんでこんなモノを取っとくの?」の連続。ボロボロのボストンバック、わたしの学生時代の私服、景品のお皿や大量の布団などなど、昭和の懐かしい遺物がザクザク出てきます。

 

でも、ふと思うと、今新型コロナウィルス騒ぎで、マスクやらトイレットペーパーがなくなっていくのを見て、「うちにたくさんあるよ」と生きていたら、胸を張りそう。

 

この時代の人間はいくらでも籠城できそうです。片付けていると、両親の生きてきた道が見えて来るようで、なんだか切なかったです。

 

あんまりしんどいので、業者さんに片付けの見積もりを出してもらったことがあるのですが、びっくりするような値段で(76万円)自分でなんとかしようかなと決意した次第です。しかし、道のりは遠い。

 

f:id:hitori-jikan:20200318200201j:plain

主人なくとも、桜咲いてました。