ひとりのじかん

ひとりのじかんを楽しく大切にして

みつける

 

若い頃は、おもしろそうなものを見つけるアンテナが敏感だった 

情報が限定的だったからだろう 

 

昔はイベントをみつけるのが難しかった

口コミか、ライブスポットでスケジュールを確認するくらいしか知りようがなかった 

面白そうなものをみつけると、開催日や発売日が楽しみだった

 

それが「ぴあ」という情報誌が出て、画期的に楽になった

 

f:id:hitori-jikan:20200706112418j:image大矢ちきさんのパズルが好きだった

 

東京で行われるイベントのほとんどが掲載されていた

ただ、有名なものは大きく紹介されているが、小さなライブスポットは名前が載っているだけ

そこからカラーや個性を想像するのだ

若い頃は自分の好みに近いイベントを嗅ぎ分けるアンテナが鋭かった

 

それが、結婚し子どもが生まれ子育てにかかりきりになると、社会情勢に疎くなりぴあを買うこともなくなった 当時のテレビドラマや流行歌もほとんど覚えていない 

 

母親という役を演じている間に、わたしという個性のアンテナが錆びついてしまった

 

少し落ち着いた頃、浦島太郎のような気分で、おそるおそる世間の波乗りをまた始めた

 

自分の好きなものを探してみたが、全然わからない

本を眺めても、芝居のタイトルを見ても、ピンとこない

アーティストは知らない人ばかり

何にも感じない 愕然とした

 

充電期間だと、何度も自分に言い聞かせていたら、充電しすぎてバッテリー本体が切れてしまった感じ

 

何かを探す時、勘は大切な要素だが、それ以上にたくさんのものに触れなくては勘も働かない

 

f:id:hitori-jikan:20200706113724j:image庭のミニトマト 品種「純あま」食べてみた ふつう

 

今は、インターネットで情報は有り余るほどあり、どれを選んだらいいかグーグル先生に聞き、好みはAIが教えてくれる

底辺は限りなく広がり、AIが選ぶ情報だけを眺めている

苦労は全くなくなった

しかしあまり、ネット情報は見ないようにした

くたびれてしまうから

全然知らないことでも、まずは自分の気持ちを中心に置いてから、情報を取るようにした

間違っていてもいい

自分にとって、ちょうどいいものをチョイスする

見なくてもいいものはもう見ない

そうしないと、振り回されてしまう

ベストを探してしまうのだ

ネットにベストはない バッドかベターかチョイスだ

 

そこを間違えないように気をつけなくてはいけない