ひとりになって、7年経つ。
夫が亡くなった当初は、なにを見ても思い出してしまい、楽しみにしていた事をしても、不思議とかえって寂しさを倍増させた。
大きな事を決めるのも難渋した。今まで夫と相談していたのが、自分で判断しなければならない。それが最良の選択なのか自信がなく困った。
だんだんと、わからないことは人に聞いたらいい。それが間違っていても、その時はそう思ったんならそれでいいと、やっと思えるようになった。
自分で自分の舵をとる感じが、掴めてきた。
緑地に咲いていたフデリンドウ
それにしても、わたしは結婚生活時代、なんて家族のために尽くしてきたんだろうと思う。もうちょっと自分を主張しても良かったと思う。
仕事や家事はもちろん、テレビのチャンネル権から、風呂の順番まで、自分のことは後回しで家族を優先した。
家族が楽しく笑顔で暮らせる日々がわたしの幸せだった。それが、あたりまえだった。
大好きなペラペラヨメナ
ひとりになって、自分の判断基準でお金を使い、朝から好きな番組を見て、今後の予定を好きに決めて、気分が乗らなければご飯も作らない。
震えるほどの自由だ。誰かに気を使う事も、わたしを咎める者もいない。
カキドオシの花も花盛り 葉を使ってのお茶が美味しい
家族というきずなに縛られて、自分を見失っていたわたしは、本当の自分を思い出した。そうそうわたしって、こうゆう人間だった。
家族の絆って、きれいな言葉で使われているけれど、「断とうにも立ち切れない人の繋がり」という意味らしい。元々は犬や馬の綱からきているらしい、重すぎる。
あまりにも可愛かったのでハルジオン
もう十分家族の役目は果たした。これからは、自分の主張をするのだ。わたしを繋ぐリードはもうない。やりたい事しかしないのだ。
人生残り少ないしね、他人の「生涯現役とか、まだ働けるのにもったいない」とか、とやかくいう言葉はもうどうでもいい。
やりたい事しかしないのだ。